
[特別座談会]
量子に挑み、量子を愉しむ
NIMSは「量子マテリアル」の研究開発を重点テーマに位置づけ、 2020年から約5年間にわたりプロジェクトを推進してきた。 研究者たちが“究極”と語る量子研究のシビアさ、そして、面白さとは―。 プロジェクトを推進してきた3名の研究者に、その醍醐味と課題を聞いた。

内橋 隆Takashi Uchihashi
ナノアーキテクトニクス材料研究センター(MANA) 副センター長/ 量子材料分野 分野長
極低温下における半導体表面・界面の物性研究。最近は、主に超伝導現象にフォーカス(Research Highlighs 03参照)。2025年からMANA副センター長、量子材料分野の分野長。
寺地 徳之Tokuyuki Teraji
電子・光機能材料研究センター 半導体欠陥制御グループ グループリーダー
専門は、薄膜成長と半導体物性。特にマイクロ波プラズマ化学気相成長(MPCVD)法による超高純度ダイヤモンドの結晶作製に力を入れてい
る(Vol.21 No.4 P.10に研究紹介)。最近は量子センサや量子通信に関する研究にも注力している。


小塚 裕介Yusuke Kozuka
ナノアーキテクトニクス材料研究センター(MANA) 量子材料分野 量子ビット材料グループ グループリーダー
専門は、薄膜材料の作製と微細加工および表面・界面の物性研究。近年、量子コンピュータで情報を担う量子ビットの材料候補として、世界で初めて酸化亜鉛の量子ドット形成に成功(Research Highlighs 01参照)。
「量子物性」と「量子技術」の両面で量子マテリアルをドライブ
内橋:物性の説明にはほとんどの場合、量子力学が必要ですから、広義にはあらゆるものが「量子マテリアル」と言えますが、私は特に、20世紀末から21世紀にかけて発見された新たな量子現象を利用した材料が「量子マテリアル」であると認識しています。中でも象徴的なのが、2005年ごろにその特性が明らかになった、原子層物質のグラフェンです。グラフェンにおける電子の独特なふるまいが明らかになって以降、たとえば2枚のグラフェンのモアレ構造が超伝導現象*1を示すなど、新しい量子現象が次々と発見されています。最初の報告から約20年経ちましたが、グラフェン研究の勢いは落ち着くどころか、むしろ加速していますよね。
*1 超伝導現象
物質の電気抵抗がゼロになる現象。クーパー対と呼ばれる量子力学的にもつれた電子のペアが、散乱などの要因によってエネルギーを失うことなく協調して働くため、抵抗なく電流が流れる。
小塚:グラフェンは、量子マテリアル研究の幅を一気に広げましたよね。それ以前は、良質な試料をつくれる研究室が世界に数カ所しかなく、試料が入手できてはじめて研究に着手できる、という状況でした。一方、グラフェンのような原子層物質は、基本的なつくり方さえ学べば比較的誰でも扱えます。これは大きな変化です。
内橋:「ナノスケールの物理が民主化した」と言っている人もいました。私は量子分野の研究者のスタンスは、大きく2つに分けられると考えています。新奇な物理を追究する「量子物性」と、その積極利用を目指す「量子技術」です。寺地さんは量子技術、私は量子物性、そして、小塚さんはその両方に関わっているという認識です。
寺地:私も同様の認識です。私はダイヤモンド結晶に含まれる、窒素(N)と空孔(Vacancy)が隣接した「NVセンタ」という点欠陥を利用して、「量子通信*2」や「量子センサ*3」への応用研究を進めています。もともとは半導体デバイス応用を見据えてダイヤモンドの合成を進めていましたが、約15年前に、ダイヤモンドが量子デバイスに応用できる可能性を知り、「これは高純度なダイヤモンドの合成技術をもつNIMSが取り組むべき課題だ」と思い、この分野に飛び込みました。多くの量子現象は、極低温でなければ安定しないのに対し、ダイヤモンドは強固な結晶構造に守られるために室温でも量子状態を保持できるユニークな材料であり、これは挑戦する価値があると感じたのです。
*2 量子通信
離れた情報が相関し合う「もつれ」や、情報がコピーできない「複製不可能性」という量子特有の性質を利用した秘匿性の高い情報通信手法。
*3 量子センサ
量子状態が外場(磁場や温度、圧力など)によって容易に変化する特性を利用して、外場を高感度に測定するセンシング手法。

小塚:量子技術における一般的な研究プロセスは、まず極低温下で量子現象の観測と基礎実験を行い、その後、動作温度をどこまで上げられるか追究していく、というものです。私自身は量子コンピュータ*4の情報を担う量子ビット*5の候補として、「半導体量子ドット」を研究していますが、これは極低温でのみ動作します。それに対し、ダイヤモンドは材料の設計次第で高温環境でも動作する量子デバイスが実現できる可能性を示唆しており、とても興味深い事例です。
*4 量子コンピュータ
量子の特徴である、膨大な情報が任意の割合で混ざった「重ね合わせ」の情報を利用して計算するコンピュータ。所定の操作を行っていくと重ね合わせの情報が変化し、膨大な情報から必要な情報へと終着する。特定の計算については劇的な計算速度改善が得られる。
*5 量子ビット
“0・1”の情報を任意の割り合いで「重ね合わせ」られる、量子コンピュータにおける情報の基本単位。
内橋:一方、量子コンピュータについては「極低温であっても運用する価値がある」というのが共通認識ですよね。現時点では極低温下でしか発現しない量子物性があり、いわば未来技術の宝庫です。たとえば「マヨラナ粒子*6」は極低温下、ある種の超伝導体で発現すると理論的に予測されている準粒子です。不思議なもので、粒子の位置を“一周ぐるっと回す”と普通の状態に戻るはずが、まったく違う状態になったりする。しかし、直接的に観測された例はなく“幻の粒子”とも呼ばれてきました。それが最近、マイクロソフトの研究チームが「マヨラナ粒子を用いた量子ビット生成に成功した」と発表し、再び注目を浴びています。私も超伝導を研究していますから、その動向には注目しています。
*6 マヨラナ粒子
粒子と反粒子(たとえば電子に対して陽電子はその反粒子)が同一の性質をもつ、仮想的な素粒子。一般的に、粒子と反粒子は性質が異なるため(たとえば電子は負の電荷をもち、陽電子は正の電荷をもつ)、マヨラナ粒子ではない。一方、ある種の超伝導物質中では、電子と正孔(電子の抜けた孔)が同じ割合で「重ね合わせ」られた粒子(準粒子)が形成されることがある。この場合、その粒子と反粒子は完全に一致するため、マヨラナ粒子が実現していると理論上考えられている。
小塚:今回の発表は、マヨラナ粒子の存在の是非も含めて大きな話題となっていますよね。とはいえ、今でこそ量子コンピュータが注目されていますが、約25年前に最初の量子ビット候補が出てきたときには量子状態を保持できる時間(コヒーレンス時間*7)が1ナノ秒にも満たなかったので、本当に使いものになるとは誰も信じていませんでした。でも「原理的にはできる」という信念を持ち、諦めずに研究を続けてきた人たちが改善を重ね、今につながっていると思います。どのアプローチが最終的に結実するかを見通すのは困難です。だからこそ、基礎的な量子物性研究も意義深く、それも含めてコミュニティ全体が成熟していくことがきわめて重要だと思っています。
*7 コヒーレンス時間
決まった量子状態を保持できる時間。

究極的にシビアな量子マテリアル研究
――その難しさ、面白さ
小塚:量子ドットにしろダイヤモンドにしろ、量子技術の最大の課題は「コヒーレンス時間をいかに延ばすか」という点です。コヒーレンス時間が長いほど信号を正確に読み出せますが、量子状態は結晶中のわずかな不純物や欠陥、熱ゆらぎ、周囲の電子スピンとの相互作用など、さまざまな外的要因で壊れてしまいます。コヒーレンス時間を延ばすために、私たち材料研究者は、結晶の品質を高め、それを精度よく加工する技術の開発に注力していますが、これはきわめて高度な課題です。
寺地:量子デバイスに要求される精度は、従来の半導体デバイスとは比べものになりませんからね。たとえば、ダイヤモンドを量子通信に使う場合には、異なる単一NVセンタにレーザ光を当て、そこから出てくる別々の単一光子をもつれさせる、という操作を行います。このとき、もつれ操作に用いる単一NVセンタ間の発光周波数の差は、100メガヘルツ以下のズレに抑える必要がある。これは波長ズレに換算すると、0.01ナノメートル以下の精度です。しかも、それを2 ~ 3時間維持する必要があります。従来の光学デバイスなら、0.1ナノメートルくらいの波長ズレは許容範囲といえますが、量子デバイスでは「まったく使いものにならない」と評価されてしまう厳しさがあります。
内橋:まさに究極ですね。デバイス化するうえでは、微細加工の段階でも苦労されているのではないですか。
寺地:本当にそのとおりで、せっかくいい結晶ができても、NVセンタからの光を結晶外へ取り出すレンズ構造を加工する段階でダメージが発生し、一気に特性が下がってしまうこともあります。それを防ぐために、専用の加工プロセス開発が必要なこともあります。また、結晶の作製プロセスでも「“普通” の感覚が通用しないのが量子マテリアルだ」と痛感した出来事がありました。私の研究室のポスドクが量子通信用ダイヤモンドをCVD法で成長し、優れた特性を示すダイヤモンドができました。ところが、私がそのつくり方を聞いていざ再現しようとしても、どうもうまくいかない。もっと詳しく手順を聞いてみたところ、ロードロックチャンバー(真空予備室)がついた真空装置にもかかわらず「真空排気に全体で丸1日以上かけた」と言うのです。私の長年の経験からすれば「そこまで長時間の真空排気は必要ない」と感じてしまうような作業です。ところが、実際にその手順で結晶成長をしたところ、狙い通りの特性が出た。現状では、何が結晶の特性に利くのかを見極めるのは難しいのです。これほど要求の高い材料制御はなかなかありませんが、NVセンタの理論的なポテンシャルに挑戦することが、この研究の醍醐味でもあります。
小塚:量子マテリアル研究では、材料を評価する側の役割も非常に大きいですね。材料作製と同様に、その特性を測定するのにも、量子力学の深い理解と高い技術力が求められます。むしろ、量子マテリアル研究では、評価者が「材料をこう変えたい」と研究を主導することが多いのです。NIMSでは作製と測定の専門家がすぐそばにいますから、そうしたやりとりが効率よく進められます。また、各大学・研究機関にはそれぞれ異なる得意分野や技術があって、いろいろな専門家と連携することで新しい発見やニーズが見えてきますから、積極的に連携していくべきだと考えています。
内橋:その重要性は私も実感しました。5年近くにわたってNIMSが行ってきたプロジェクトでは、材料評価や理論、計算科学など、NIMS内でも普段はほとんど交流のない分野の研究者がチームを組むことになりました。私は普段、半導体の表面で起こる極低温下での超伝導現象を、走査型トンネル顕微鏡(STM)などを用いて観察していますが、プロジェクトでは材料作製の研究者とタッグを組み、シリコン表面上に新たなモアレ構造を作ることに成功しました。私たちが作製したモアレ構造は、アンチモンなど原子番号の大きな“重い元素” からなる原子層物質で形成したものです。重い元素を選ぶとスピン軌道相互作用が強くなるため、たとえば先ほど話したマヨラナ粒子が関与する超伝導など、新たな物性の発見につながればと、さらに追究しているところです。こうした発展は、異分野の研究者と連携してこそのものです。量子マテリアル研究は時間のかかるものですが、プロジェクトで築いた連携を継続していくことで、今後もNIMSからさまざまな成果が生まれていくと期待しています。

材料の研究者を量子研究に引き込む
寺地:材料研究者の中には、「量子技術の研究には踏み込みづらい」と考えている人が少なくありません。その理由の1つに、既存の製造装置や評価装置では対応できないという点があります。現に「量子技術の扱い方を企業の方にレクチャーする」といったテーマが国の推進するプロジェクトの一課題になるくらい、量子技術は一般企業や量子分野以外の研究者にとってはハードルが高いのです。
小塚:評価の方法自体が、従来のものとは根本的に違いますからね。典型的な電子デバイスの評価方法は、電圧や電流の計測が多く、子どものころから理科の授業で慣れ親しんできた電気回路の実験と地続きです。しかし、量子の分野は、たとえば「マイクロ波を照射して周波数を測る」といった特殊な操作が必要なので、熟練した研究者ほど参入に障壁を感じるようです。また、半導体分野はすでに学問体系が確立されているので、必ずしもコンピュータの計算アルゴリズムや量子力学を熟知していなくても、ある程度の基準値を参考にして材料研究が進められます。それに対し、量子分野はまだ確立されておらず、自分で量子力学を理解して材料の仕様を定義しなくてはならない段階です。今後、半導体のように専門が分化し、自分が活躍できる領域を見つけやすくなれば参入者も増えて、新しい技術がさらに生まれやすくなると思います。そのためにも、いま量子に関わっている人たちが積極的に量子技術の教育に携わり、理解をちょっとずつ変えていく、そうした活動も今後ますます必要になると感じています。将来、中学や高校の理科の授業で、量子に関する実験などが組み込まれるようになれば、量子に対する心理的なハードルが下がり、徐々に「量子ネイティブ」が増えていくのかもしれません。
寺地:すでに若手研究者の中には、材料の作製から評価まで、すべて自力でできる人が増えてきているのを感じます。かつて私がそうであったように、量子研究を「自分には関係のない分野」と思っている材料研究者に、「自分にも関係があるかも知れない」と気づいてもらえるように、まずはコミュニティを広げていきたいですね。
内橋:そのためにも、やはりNIMSの量子研究を発展させていくことが重要だと再認識しました。また、今回の座談会によって、改めて量子技術の難易度の高さが分かりました。だからこそ、一緒に協力することの大切さも強く感じました。量子の世界にはとても奥深い物理があって、それに触れられることが醍醐味です。それを追究していくことによって、一段高いレベルの新しい物理の体系や、世界を変える技術が生まれると信じています。
(文・山田 久美/写真・石川 典人)

