Research Highlights 01

[水素をつくる] AIや数理モデルの活用で切り拓く、水素の大量製造への最短パス

再生可能エネルギー由来の電気で、水を分解(水電解)してつくるグリーン水素。その大量製造を実現するため、水電解装置用の電極触媒の開発やメカニズム解明に、データ駆動型手法を活用しているのが坂牛健チームリーダーらだ。

坂牛 健Ken Sakaushi

エネルギー・環境材料研究センター 電気化学エネルギー変換チーム チームリーダー


最長6年の実験をわずか1カ月で完了

水素社会の実現に向け、水(H2O)に電気をかけて水素(H2)と酸素(O2)に分解する「水電解」と呼ばれる技術が注目を集めている。その仕組みは、2つの電極触媒(陽極と陰極)を水に浸して電気を流せば、それぞれからH2とO2が発生するというものだ(上写真)。シンプルな仕組みだからこそ、「電極触媒」の性能がグリーン水素製造の効率と直結する。

現在、水電解装置において、O2発生側の電極触媒には、イリジウムやルテニウムといった高価で希少な白金族元素が必須で、導入拡大の足かせとなっている。そうしたなか、注目されているのが、複数の元素を混ぜ合わせた多元系の材料だ。地球上にありふれた元素(汎用元素)でも、複数種類を混ぜ合わせることにより、特性が劇的に変化することが知られている。

しかし、元素の組み合わせや混ぜる比率など、組成のバリエーションは無数にある。そこで、AIを使って短期間で、高い触媒性能を示す多元系材料を発見しようというのが、坂牛らの研究チームの戦略だ。坂牛は次のように説明する。

「戦略の一例はこうです。まず、日本における資源バランスや元素の埋蔵量を考慮して、多元系材料の候補となる約10種類の元素(鉄や銅、亜鉛など)を選択します。そのうち5つの元素を組み合わせた組成をランダムに10個選び出し、電極をつくります。それを用いて水電解実験を行い、得られた電気化学特性データをAIに学習させます。そして、AIが有望な組織を提案し、その中から、実際に電極を作製し、電気化学特性データを学習・予測させるプロセスを繰り返していきます。

そのようにして、2023年に見出したのが、マンガン・鉄・ニッケル・亜鉛・銀からなる電極触媒です。用いたAIは、『ベイズ統計学』を基盤とするシンプルなもので、田村亮チームリーダー(データ駆動型アルゴリズムチーム)と相談して考案しました。そのAIは、比較的少量のデータを学習させただけで、最適な組成を提示してくれました。従来であれば最長6年かかる実験を約1カ月間で完了できたのです(→Vol.24 No.1 Cover Storyに関連情報)」(坂牛)

探索時間の短縮を叶えた“人とAIとの協働”

実は海外でも、AIを活用して水電解用の電極触媒を探索する試みは先行して行われていた。10年間にわたり、約200人の研究者を投じたその大型プロジェクトは、前半の5年間だけでも1700億円を超える研究費を費やしながらも、有用な材料を見出すには至らなかった。

かたや、坂牛らが要したのは、1年半という短期間で、メンバーは5人。海外のプロジェクトより4ケタも少ない研究費で、高性能な電極の探索に成功している。坂牛は、その成功要因をこう分析する。

「AIの予測精度は、学習させるデータの質によって決まります。海外のプロジェクトでは、ロボットに実験を担わせ、大量のデータをAIに学習させるというアプローチでした。しかし、水電解をはじめとした電気化学実験は、わずかな不純物の混入や実験条件の違いが結果に影響を及ぼすきわめてシビアなものです。一つ一つの実験工程は難しいものではないにせよ、誰も解を知らない未完成の研究領域では、実験条件が最適化されていない場合がほとんどです。そうしたなかで、ロボットを使って信頼性の高いデータを取得するのは困難で、ロボットの長所を活かせません。そこで我々は、研究者が厳密な実験を行い、高精度かつ信頼性の高い実験データをAIに学習させる戦略をとりました。そのことが、少量のデータであっても、短期間で成果をあげることができた一番の理由であると考えています」(坂牛)

今後、坂牛らは、ただ新しい電極触媒を発見するのみならず、なぜ高性能なのかについてもAIを活用して解明を進め、未解明の部分が多い電解触媒に関する学理を構築していきたいと考えている。

各種金属塩を溶解させた溶液を基板に塗布し、炉で焼成して陽極(O2 発生側の電極触媒)を作製。写真は、陽極を試験容器にセットしているところ。

“天気予報の手法”で電極触媒の「寿命予測」を迅速に

人間による精緻な高信頼性実験とデータ駆動型手法との相乗効果で研究を加速する、という坂牛らの戦略は、電極触媒の新材料探索だけでなく、寿命予測においても効力を発揮している。

水電解装置の導入に向けては、電極触媒の寿命、すなわち劣化の予測が不可欠だ。しかし、それを精度よく予測するためには、水電解装置を数千時間から、場合によっては数年間にわたって運転させ続けなければならない。そこで坂牛らは、電極触媒の劣化を短時間で正確に予測するためのアルゴリズム開発に取り組んでいる。

アルゴリズム開発に先立ち、坂牛らは過去70年間の電解技術に関する論文を徹底的に調べ、劣化の主要因は、電極の溶出によるものと推察。まずは電極が溶出する様子を再現するシンプルな数理モデルを構築した。この数理モデルの予測結果と、実際の劣化試験の実験データとを比較してみると、最初の数時間はほぼ合致した。しかし、時間が経つにつれて、実験データと予測との間には、徐々にずれが生じていく。

そこで、導入したのが「データ同化」と呼ばれる手法だ。データ同化とは、数理モデルの予測値に対し、逐次、実測値を取り込み、確率論に基づいて数理モデルのパラメータを最適化していく手法のこと。大規模で実験による検証が困難な現象の予測に活用されている手法であり、特に、近年の天気予報の精度向上は、データ同化によるところが大きい。

「今回、我々の数理モデルに対するデータ同化の導入には、計算科学の専門家である石井秋光研究員(計算組織設計グループ)の協力を得ました。約900時間分の劣化試験によって我々が取得したデータをもとに、どのような計算式を用いるのが適切か、ともに検討を重ねていきました」(坂牛)

その結果、劣化試験開始から300時間の実験データだけで、900時間後の触媒の劣化を、96%の精度で予測できるアルゴリズムが完成した(図1)。

図1  データ同化による電極触媒の寿命予測の結果
まず、電極が溶出する様子を再現する数理モデルを構築し、電極触媒の劣化を予測した。数理モデルによる予測(赤)のみの場合、次第に実測値(黒)からの乖離が大きくなっていってしまう。それに対し、実測値を取り込んでパラメータを最適化していく「データ同化」という手法を数理モデルに適用した場合、300時間分の実測値を用いるだけで、高精度な予測が可能になった。

「試験時間を約3分の1に短縮できたことは、開発材料の実用性を迅速に判断するために有用です。とはいえ、今回はラボ内の簡易的な機器による劣化試験であり、実際の水素電解装置ではもっと複雑な要因が絡み合って劣化が進みます。今後は、より実際の水電解装置に近い条件で電極触媒の寿命予測ができるよう、アルゴリズムを発展させていく計画です」(坂牛)

電極触媒の活性に影響を及ぼす「局所pH」に着目

加えて、寿命予測アルゴリズムの精度をより一層高めるために、坂牛らは未解明の現象の理解にも取り組んでいる。その一つが、電解液のpHの変化と触媒活性との関係である。

「触媒反応が進むにつれて電極近傍の電解液のpH(局所pH)は変化し、触媒の活性はその影響を大きく受けることが知られています(図2)。特に、電解液全体のpHが中性である場合、局所pHが触媒の活性に強く関与すると言われながらも、電極からわずか数ミクロンの領域のpHを正確に測定するのは難しく、触媒活性との相関は理解が進んでいませんでした」と坂牛。

図2  O2発生反応における電極界面の挙動

そこで坂牛らは、モデル触媒として、安定性と評価性に優れたイリジウム酸化物を選定。「回転リング—ディスク電極(RRDE)」と呼ばれる電気化学測定装置を使い、酸素発生側の電極界面近傍における局所pHの変化を高精度に測定した。

*回転リング−ディスク電極(RRDE)…電極を一定の速度で回転させることで、基盤となる電極材料の拡散を制御しながら生成物や中間体を高精度分析する電気化学測定装置のこと

その結果、2025年1月、局所pHと電解液全体のpHとの差の拡大が、触媒の活性に大きな影響を及ぼしていることを突き止めた。さらに、分光電気化学測定(下写真)と呼ばれる手法を駆使し、水素イオン(H)が電極界面近傍に蓄積することが、触媒の活性が正確に測定できない原因になっていることを解明した。

「分光電気化学測定装置」では、電極に電流を与えて電位の応答を調べると同時に、電極に光を照射。そのスペクトル変化から、電極表面についた物質を特定し、その挙動を調べることができる。

「現在、pHの変化を寿命予測モデルに取り入れる方法を検討しています」と次なる展開に意欲を燃やす坂牛。今後、ますますデータ駆動型手法が物質・材料の研究開発にとって重要な役割を果たすことが確実視されるなか、坂牛らは信頼性の高い実験データを生み出す手腕を強みとして、持続可能な社会への道筋を照らしていくに違いない。

NIMS-筑波大学連携大学院の教員を務める坂牛の研究チームには、ミャオ・ワンNIMSポスドク研究員(写真奥)に加え、大学院生のパーポンパット・ヨドゥドムニパット(右)と佐藤世菜(左)も在籍している。「私の研究上の目標は、従来の方法では理解に100年かかっていた電気化学の原理を、AIや数理モデルをうまく利用することによって、5年で達成すること。この5年という期間は、ちょうど大学院の修士・博士課程に相当します。教育者としても、物質・材料とAIの両方に精通した人材の育成に貢献していきます」(坂牛)

Profile

坂牛 健

Ken Sakaushi

エネルギー・環境材料研究センター
電気化学エネルギー変換チーム 
チームリーダー

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