Column | 深掘り・水素と材料 Vol.1
「水素脆性」の克服を目指して― 破壊のメカニズムを徹底解析
柴田 曉伸Akinobu Shibata
構造材料研究センター 鉄鋼材料グループ 上席グループリーダー

金属の「水素脆性」という弱点
金属材料には、水素が内部に侵入すると引張強度などの機械的特性が著しく低下する「水素脆性」という弱点がある。一般的な脆性破壊とは異なり、そのメカニズムは複雑だ。しかも、金属の強度が高くなるのに従って、より低い水素濃度で破壊が起きやすくなる。
現在、自動車に広く使われている鉄鋼板の2倍近くに相当する、1.5ギガパスカルの引張強度を有する超高強度鋼の開発が進められているが、その強度の鉄鋼では、大気中の水素濃度でも破断が起きる危険をはらんでいる。
鉄鋼材料を対象に、水素脆性をはじめとした脆性破壊のメカニズムを研究している柴田曉伸は、研究の狙いについてこう語る。
「水素インフラ材料の選択肢を広げるためには、水素の影響で起こる脆性破壊メカニズムを解明する必要があります。特に、強度が高い鉄鋼のほとんどは、『マルテンサイト』と呼ばれる結晶組織で構成されています。ですから、まずはマルテンサイト鋼をターゲットとして研究を進め、その知見にもとづいて、耐水素脆性を有する材料の設計指針を打ち出そうとしています」(柴田)
亀裂の伝搬を食い止めろ
鋼の脆性破壊を一筋に追究してきた柴田の強みは、結晶組織をさまざまなスケール・観点から検証する「マルチスケール解析」の綿密さだ。組織を2次元観察する「走査型電子顕微鏡(SEM)」*1や「走査透過型電子顕微鏡(STEM)」*2をはじめ、ミクロスケールの3次元観察手法として「X線コンピュータトモグラフィ(X線CT)」*3や「FIB-SEMシリアルセクショニング」*4、「電子後方散乱回折法(EBSD)」*5といった手法を使い分け、多角的な解析を進めている。
*1 走査型電子顕微鏡(SEM)
細く絞った電子ビームで試料表面を走査。試料から放出される二次電子や反射電子を検出することで、微細な表面構造や組成コントラストを観察する装置。
*2 走査透過型電子顕微鏡(STEM)
細く絞った電子ビームで試料を走査。透過・散乱した電子を検出することで、試料内部の原子配列や構造などを観察する装置。
*3 X線コンピュータトモグラフィ(X線CT)
走査型電子顕微鏡(SEM)…細く絞った電子ビームで試料表面を走査。試料から放出される二次電子や反射電子を検出することで、微細な表面構造や組成コントラストを観察する装置。
*4 FIB-SEM シリアルセクショニング
試料上方から、集束イオンビーム (FIB) で原子1層ずつスライスするように削ると同時に、SEM観察を行い、 2D画像を取得。これを重ねることによって3D画像を再構築する手法。
*5 電子後方散乱回折法 (EBSD)
SEM において、試料に照射した電子の拡散を反射電子回折パターンとして取り込むことにより、結晶方位や結晶構造を3D解析する手法。
その一例が、マルテンサイト鋼の組織内部で進展した亀裂の挙動解析だ。柴田は水素を導入したマルテンサイト鋼に荷重をかけ、亀裂を発生させた試料を作製。組織内で起こる現象を観察していった。
そのなかで、特に柴田が着目したのが、X線CTで取得した亀裂断面の画像に現れた、“亀裂が途切れた部分”だ(図1の黄色矢印)。亀裂が伝搬するなかでも、破断に至らなかった箇所が点在していた。その近傍の微細構造にこそ、鉄鋼の耐水素脆性を高めるヒントがあると考えた柴田は、より詳細な観察を重ねた。

黄色の矢印は、亀裂の進展が停止した位置を示している。
「SEMによる2次元観察では、亀裂は粒界に沿って伝播(粒界破壊)している一方で、頻繁に粒界から逸脱している様子が見てとれました(図2)。FIB-SEMで亀裂を3次元的に観察した結果からも、粒界からの逸脱が頻繁に起きていることは明らかでした(図3)。つまり、この現象が破壊エネルギーを吸収し、亀裂の伝播を抑制していたと考えられます」

Akinobu Shibata et al,. Corrosion Science vol.233, 112092 (2024).
DOI:10.1016/j.corsci.2024.112092

Akinobu Shibata et al,. Corrosion Science vol.233, 112092 (2024).
DOI:10.1016/j.corsci.2024.112092
では、亀裂の逸脱が起こりやすい粒界の条件とは何か。柴田はFIB-SEMとEBSDを用いて、いくつもの粒界を対象に、結晶の向き(方位)の解析を地道に繰り返していった。その末にたどり着いたのが「隣り合った結晶粒の方位差が小さい粒界である」という結論だった(図4)。
「これらの結果は、鉄鋼の耐水素脆性を高める方法として、結晶の方位差が少ない組織をつくり込めばいい、という一つの可能性を示唆するものです。少なくとも、水素による脆性破壊には、マルテンサイト鋼の粒界の性格が大きく影響しているという、意義深い知見が得られました」(柴田)

Akinobu Shibata et al,. International Journal of Hydrogen Energy vol48, 34565-34574 (2023).
DOI:10.1016/j.ijhydene.2023.05.211
微細組織の美しさに魅せられて
「次のステップでは解析の精度をさらに高めるとともに、体積が大きなモデルの3次元解析を実現したい」という柴田。
「鉄鋼の粒界が水素脆性に影響していることはわかりました。しかし、亀裂が粒界を伝播している瞬間、そこに水素がどう影響しているのかまでは明らかになっていません。そのためにも、水素による脆性破壊と水素以外で起きる脆性破壊とを比較するといった方法で、水素の関与をより明確化していきたいと思っています」(柴田)
柴田は自身を「マルテンサイト鋼のマニア」だという。マルテンサイト鋼の組織の美しさに魅せられ、ここまで研究を重ねてきた。
「複雑で美しい構造の理論的な背景を理解したうえで、その構造と機能を制御できるようになりたいのです」と心から楽しそうに語る。水素インフラに限らず、世の中には鉄鋼材料の活躍の場があふれている。水素脆性研究をきっかけとして、さまざまな脆性を克服した次世代高強度鋼への道が拓けるはずだ。
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