Column | 深掘り・水素と材料 Vol.2
水素インフラの安心・安全を守る実地試験 「水素環境下材料試験」大解剖
小野 嘉則Yoshinori Ono
技術開発・共用部門 材料データプラットフォーム 極限環境材料データユニット ユニットリーダー

水素に強い金属を求めて
海外のメガソーラーで発電した電力を使って水を電気分解し、大量の水素を製造。それを液化して、専用の運搬船で日本国内に輸入する——そんな液化水素を主役とした水素サプライチェーンの実現を目指し、産官学が一丸となっている。その名も「大規模水素サプライチェーン構築プロジェクト」*。新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が運営・管理する課題で、NIMSも参画機関に名を連ねている。
プロジェクトにおけるNIMSの役割は、液化水素インフラで使用される構造材料の特性を評価するための試験設備を整備することだ。現時点では、過酷な水素環境下で使うことができる材料は限られている。というのも、水素の液化温度は20 K(約−253℃)もの極低温。一般的に、金属材料は低温になるほど、ねばり強さ(延性)が低くなる傾向がある。しかも、高強度の金属材料ほど、水素ガスの影響を受けやすく、延性が低下してしまう。
そこで、低温水素環境下で、できるだけ安価で耐久性のある材料を安心して使えるようにしていくために、NIMSは2024年10月に「水素環境材料実験棟」の運用を開始した。
*大規模水素サプライチェーン構築プロジェクト…NEDOが推進する「グリーンイノベーション基金」の一課題。
世界初の温度・圧力領域をカバー
本実験棟には、材料の機械的特性(引張強度、疲労強度、破壊靭性)を水素環境下で評価できる各種試験機を取り揃えている。それぞれ試験時の環境条件として、温度と圧力を設定できる。試験機は防爆仕様の実験室に設置されており、約2万4000リットルの液化水素貯槽を備える。

高圧極低温引張/疲労試験機
圧力:大気圧(0.1 MPa)〜10 MPa
温度:20 K〜353 K
環境:水素ガス、ヘリウムガス

中空極低温疲労試験機
〈通常の試験片を用いた場合〉
圧力:大気圧(0.1 MPa)
温度:20 K〜353 K
環境:液化水素、水素ガス、ヘリウムガス
〈中空試験片を用いた場合〉
圧力:中空内は最大120 MPa
温度:20 K〜353 K
環境:中空内は水素ガス、ヘリウムガス/外側は大気圧のヘリウムガス

大気圧極低温引張試験機
圧力:大気圧(0.1 MPa)
温度:4 K〜353 K
環境:液体ヘリウム、液化水素、水素ガス、ヘリウムガス
本実験棟の運用を主導する、極限環境材料データユニットの小野嘉則はこう語る。「液化水素のサプライチェーンの商用化実証が進むなかで、材料に求められる温度と圧力の領域が広がっており、従来の試験設備ではそれに対応できません。本実験棟では、世界初の温度・圧力領域を含む、20 K〜353 K(80℃)の温度領域、かつ大気圧(0.1 MPa)〜10 MPa以下の高圧領域で機械的特性データを取得できるようになりました(下図)」

日本国内には、液化水素環境下での材料の機械的特性を評価する試験機が1基だけ存在するが、温度と圧力の領域が限定的だ(図中★印)。今回、評価可能な領域を大幅に拡張した。
現在は、2026年度からの本格的なデータ取得に向け、運用技術の確立を目指している段階だ。小野は、NIMSが水素環境材料実験棟の整備に名乗りを上げた理由をこう語る。
「我々の先輩方は、1970年代後半から極低温環境下での材料の力学特性評価に関する研究を行ってきました。それを引き継いだ我々は、液化水素や液化酸素を燃料とするロケットエンジン材料の極低温試験も進めてきました。そのなかで培ってきた技術や知識が生かせると考えたのです」
試験を格段に簡便にする 試験片を貫く“孔”
極低温試験で培われた知見は、水素環境下試験でも確実に生きている。その一例が「中空試験片方式」だ。
「通常の水素環境下試験機は、試験片の周りを高圧水素ガスで満たすために大掛かりな装置を要し、装置の導入と維持に高額の費用がかかります。そうした負担を軽減する目的で活用を思い立ったのが、極低温試験の折に緒形俊夫NIMS名誉研究員が開発した『中空試験片』です(下写真)。この試験片は、真ん中に細い孔があいており、極低温試験ではそこにセンサを仕込んで、力学試験中の材料の温度変化を測定していました。一方、水素環境下試験では、その孔に水素を流し込み、試験片の内部に水素環境を再現しています。この方式によって装置は大幅に簡略化でき、水素ガスも少量で済みます」(小野)

緒形と小野は水素ステーションなどでの材料利用を念頭に、温度範囲は-45℃〜室温、圧力は105MPaという条件のもと、中空試験片を使った引張試験を実施。従来の試験方式とほぼ同等のデータを得られることを確認している。また、2024年には同試験方式の規格化にも成功した。小野らは引き続き、液化水素インフラで材料がさらされる低温・高圧領域でも、中空試験片による引張試験や疲労試験を実施していく計画だ。
水素社会で使用可能な材料の拡大を目指して
「現在、民間企業主導で、液化水素を含む低温水素環境下で使用できる材料を増やすための動きが出てきています。これを実現していくためには、信頼性の高い特性データが不可欠です。我々はその点でも貢献できると考えています」(小野)
小野らは、まずは水素環境下におけるオーステナイト系ステンレス鋼(SUS316L)とアルミニウム合金(A5083-O)の機械的特性データの取得を進めるとともに、将来的にはそれらデータを、NIMSが運用するデータベースを通じて公開していくという。長年の実績をもつNIMSの材料試験は、時代の要請に応え、新たな歴史を刻みはじめた。
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Yoshinori Ono
技術開発・共用部門
材料データプラットフォーム
極限環境材料データユニット ユニットリーダー
〈関連プレスリリース〉水素社会実現への一歩!低温・高圧水素環境下での材料特性評価設備が完成