Research Highlights 02
量子ビット材料開発最前線| Case#2 2次元物質「グラフェン」で拓く量子デバイスの可能性
2025.10.16

群雄割拠の量子コンピュータ研究
量子ビット材料の研究開発最前線
現在、量子コンピュータの実現に向け、「超伝導方式」や「半導体方式」、「イオントラップ方式」、「光量子方式」など複数の原理が提案され、世界中の研究者が原理実証にしのぎを削っている。なかでも、情報の担い手である「量子ビット」の集積能力が高く小型化に有利なのが、半導体方式だ。これは、半導体の結晶中に「量子ドット」と呼ばれる直径数十nm程度の構造をつくり、電子を1~2個だけ閉じ込める。その量子状態の制御により計算を行う仕組みだ。 半導体方式のなかでも、材料の候補は複数ある。その代表格は「ガリウムヒ素(GaAs)」と「シリコン(Si)」である。いずれも高品質な結晶作製技術が確立されており、従来の半導体製造プロセスにおいて微細加工技術の知見が蓄積されている。また近年、2次元物質を重ね合わせた「モアレ超格子」がさまざまな物性を発現することが明らかになり、量子ビットへの応用研究が熱を帯びている。さらには「酸化亜鉛」という新たな選択肢が生まれるなど、まさに群雄割拠の状況だ。 いかなる量子デバイスにおいても、その性能の指標となるのが、電子が量子状態を保持できる時間(コヒーレンス時間)である。結晶中に含まれる不純物や欠陥、原子核の自転のような運動により生じる「核スピン」、原子核と電子との間で生じる「スピン軌道相互作用」が、コヒーレンス時間の低下を招く。また、電子が入る伝導帯が複数あるケースでは、電子が伝導帯にランダムに入ることにより量子状態を安定して保つことが難しくなる。量子ビットを開発するうえでは、こうしたさまざまな要因を考慮した材料選択が重要だ。ここからは、その課題に取り組む量子ビット材料グループの研究を紹介する。
Case #2
2次元物質「グラフェン」で拓く量子デバイスの可能性
岩﨑 拓哉Takuya Iwasaki
ナノアーキテクトニクス材料研究センター(MANA) 量子材料分野 量子ビット材料グループ 主任研究員
「スピン」と「バレー」の同時制御に挑む
量子マテリアル研究を20年近くけん引してきた材料がある。2次元物質の「グラフェン」だ。グラフェンとは、炭素原子からなる六角形が平面上に並んだ2次元物質である。炭素原子の大部分を占める12Cは、コヒーレンス時間の低下を招く核スピンをもたないため、超微細相互作用が生じない。また、グラフェンはSiをはるかにしのぐ電子移動度を示すなど、量子ビットとして有望な性質を備えている。
しかし、GaAsやSiなら数ビットの量子操作は実現しているが、グラフェンではまだ実現できていない。その理由は、素子作製に高い技術力が要求されるからだ。グラフェンは元来、電子が動く際の障壁となるバンドギャップがゼロであるため、電子をピンポイントに閉じ込めるのが難しい物質だ。世界トップレベルの研究グループでも、単一電子の制御を実現するために、素子設計や微細加工法の最適解を手探りで探索しているような状況だ。
それだけ素子化が困難でありながら、グラフェンが研究者を魅了する理由について、実際にその研究に取り組んでいる岩﨑は「グラフェンは『バレー』と『スピン』という2つの量子状態を利用できるのです」と語る。電子の量子状態といえば、スピンが代表的だ(図1左)。上向き・下向きをそれぞれ“0・1”と対応させる仕組みは、他の量子ビット材料でも共通している。
では、バレーとはいったい何なのだろうか。
概念的な話になるが、原子が規則正しく並んだ結晶中では電子は波のようにふるまい、結晶の周期性の影響を受けて、電子が取り得るエネルギー範囲(バンド構造)が形成される。グラフェンの場合、そのバンド構造は2つの円錐が頂点でつながったような特徴的な形状となる(図1右)。このとき、円錐の頂点における電子の状態は、エネルギーは同じだが、波数ベクトル(電子の運動方向と運動量)が異なる「Kバレー」「K’バレー」という2つの状態を取り得る。つまり、量子ドットに閉じ込めた電子のバレー状態を区別できれば、これにスピンの上向き・下向きの状態制御も組み合わせることにより、計4パターンの情報を表現できる可能性がある。この自由度の高さこそ、グラフェンの魅力というわけだ。

グラフェンとh-BNを重ね合わせた
世界最高水準の量子ドット素子の作製に成功
バレーの量子状態はどのように制御するのだろうか。
「実は、一つ一つのバレーを操作する方法はまだわかっていません。しかし、『モアレ超格子』をつくり、所定の操作をするとバレーの動きが電気的に検出できることは知られています」と岩﨑。モアレとは、規則正しく並んだ線や点などが重なり合うと生じる干渉縞のこと。特に、格子が規則正しく並んだ物質同士を重ね合わせたときに周期的に生まれる構造をモアレ超格子と呼ぶ。
岩﨑が取り組んでいるのが、グラフェンと六方晶窒化ホウ素(h-BN)を重ね合わせたモアレ超格子である。h-BNはホウ素原子(B)と窒素原子(N)からなり、グラフェンと同様に六角形が平面状に並んだ2次元物質だが、両者は格子周期が異なるために角度を揃えて重ねた場合でもモアレ超格子が形成される(図2)。

「モアレ超格子は、その重ね方の違いにより新たな物性が次々と見いだされているホットな分野です。以前、我々はモアレ超格子の特性を活かし、グラフェンのバレーに起因する電気信号の検出に成功しました。そこで、モアレ超格子と量子ドットを組み合わせればバレーの状態を制御できるのではないかと考え、二層グラフェン/h-BNモアレ超格子による量子ドット素子の作製に着手しました。二層グラフェンを使うのは、バンドギャップを調整できるからです。今回私が作製したのは、量子ドットが2つ並んだ『二重量子ドット』と呼ばれる素子です(図3)。この素子は、結晶角度を揃えて積層した二層グラフェン/h-BN構造に微細加工を施し、電子1個分ほどの通り道を残して材料の不要な部分を削り取って作製しています。その上に複数の電極(トップゲート)を形成し、そこに電圧をかけることで二層グラフェン中の電子の移動を制御するバリアをつくります。複数の電極の電圧をそれぞれ細かく制御することにより、電子を1個ずつ閉じ込め、その状態を制御することに成功しました」(岩﨑)

これだけ精密な制御に成功した素子には、2次元物質同士を重ね合わせる際に気泡を発生させない転写法など、岩﨑のノウハウが詰め込まれている。
「電子輸送測定の結果から、量子ドット内に電子を1個ずつ閉じ込めることに成功したことがわかります(図4)。しかし、今回の素子では、バレーの状態を読み取ることはできませんでした」と岩﨑。その原因を岩﨑は、「量子ドットをつくる際に素子を削ったことにより、グラフェンの端が崩れてしまったことが影響している」と考えている。量子状態とはそれほど壊れやすい状態ということだ。現在、材料を削るのではなく、電場を使って電子の通路の幅を調整する「ゲート定義型」の量子ドットの作製方法を探っている。


こうした高度な課題への挑戦を支えているのが、NIMSで谷口尚理事(MANA センター長併任)が作製している世界最高純度のh-BNだ。岩﨑の研究に限らず、2次元物質の研究は谷口のh-BNなしには開花しなかったといえる。唯一無二の研究材料が間近で手に入る環境は、岩﨑の研究を強力に後押ししている。2次元物質の量子デバイスへの可能性は拓かれたばかりだが、岩﨑らの飽くなき挑戦によって、量子マテリアル研究はますます面白くなるだろう。
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